珈琲屋をはじめたきっかけ

それはやはりあの日だったでしょうか。

2018年3月、3つ上の姉が突然死をしたこと。享年30歳。

後の検査で分かった死因は、急性心タンポナーデでした。ひと月前に受けた健康診断では何も問題なく、心臓疾患の既往もありませんでした。本当に突然、心臓の誤作動が起こった、ということになります。


夜19時過ぎ、あまりにも突然の連絡で現実味がなく、警察の方からの事情聴取(病院や施設ではない場所で亡くなると、警察に連絡をしなければいけません)も、動揺する親の隣で淡々と答えたように思います。何でそんなに冷静でいられるのかと言われたほどでしたので。


亡くなった姉に会えたのは次の日の朝方でした。

色々と事情があり約10年ぶりの再会でした。いつかそのうち、と先延ばしにしていた結果がこのような形となり、これが最後になってしまうとは想像にもしていませんでした。

けれど悲しむ暇もなく、葬儀の準備は意外と忙しいものです。具体的な金額も出てくるので尚更。

色々と段取りが決まったのはお昼前。連絡を受けてからというもの、食べ物が喉を通らなかったのですが、父が「なんか珈琲飲みたいな」と呟いたのです。不思議と珈琲なら飲みたいかもしれないと、そう思いました。


その日は、重たい雲が空を覆っていて、雪が舞う寒い日でした。父と歩いて珈琲屋へ(偶然、学生の頃に私がアルバイトをしていたところでした)。

たくさんのドリンクメニューが並ぶメニュー表はあまり見ずに、父は「普通の珈琲でいいわ」と。私も、と。一番小さなサイズのホットコーヒーを持ち帰り、姉が眠る安置室で静かに飲みました。


張り詰めた糸が少しずつ緩んでいったのか、ようやく虚しさのような現実感が心の奥から湧いてきて、はじめてその時に涙が出たのを覚えています。

あの時飲んだ珈琲が何だったのか、美味しかったのかどうか、そんなことは何も覚えていないしどうでもよかったけれど、あの珈琲時間が、現実から解離していた心に何かを灯したことだけは確かで、これからも大切な記憶としてずっと忘れずに残っていくのだと思います。


姉を見送った日の空は蒼く澄んでいて、春らしい爽やかな風が吹いていました。


人の生き死には本当に分かりません。私も親となり、先に子どもを見送らなければならなかった親の苦しさが、今なら痛いほどよく分かります。父が崩れるように泣いていた姿を目にしたのは、前にも後にもあの日だけでした。

生きることが日常なら、死ぬこともまた日常にあります。姉の死は、これからの自分の暮らし方を考えさせられる大きなターニングポイントになりました。


もともと珈琲を淹れて飲むことが愉しく好きでした。いつか自分で珈琲屋をやってみたいという想いも、心の中をずっと巡っていました。

そして何より、あの深い悲しみの中で珈琲を求めたことに何か縁があるように感じました。

あの日を境に自分がやりたい珈琲屋の輪郭がすぐに浮かび上がり、「いつか」ではなく「今」なのだとはじめたのが、同年6月です。


仄々の珈琲は、「ブレンド灯し」と名付けた1種類と深やきカフェインレスのみです。シングルオリジンを焼いていたこともありましたが、今はそれもやめました。

期間限定や季節に合わせた珈琲なども焼くことはありません。

ブレンド灯しは、とても静かで穏やかな味わいです。煌びやかな味でもなく、華やかな香りもない、目指したのはあの日に寄り添った、おいしさはすっと消えて、やさしい余韻だけを残すような、どんな場面にも違和感なく馴染む珈琲です。


わたしにとって珈琲は日常の飲み物です。毎日の暮らしの中に少しの珈琲時間があるだけで、心の糧となります。

毎日飲むものだからこそ、手に取りやすい価格であること。

胃腸に負担をかけない健やかな珈琲であること。

ご飯とお味噌汁のような飽きのこない味わいであること。

そして、自分と家族がその珈琲を好きでいつづけられること。

大切にしていることはこれだけで、それを形にしていったのが、今のブレンド1種類と深やきカフェインレスとなりました。


珈琲の情報はあえて伝えすぎないようにしています。気楽に飲めるように敷居を低くしておきたいのと、ひと息、深呼吸をしたい珈琲時間には、その情報量が少し煩わしいと思うからです。

珈琲屋として良質なものを仕入れ、おいしくきちんと焼くことは当たり前として、珈琲のどこに価値を見いだすか、その違いなのだと思います(決して他を否定しているわけではありませんよ)。


日々色々あります。嬉しいことも悲しいことも、いい日そうでない日も、とりわけ何でもない日も、すべては暮らしという日常の中にあります。

何かに行き詰まったのなら、呼吸が浅くなってきたのなら、どうぞ珈琲でも飲んでひと息つきましょう。深呼吸しましょう。大抵のことは何とかなります。大体のことは時間が解決してくれます。


自分の焼いた珈琲が、定期便やオンラインストアを通して届けている方の、喫茶室に来て飲んでくださる方の、その日を乗り越える心の糧となっていたらこの上なく嬉しいです。

みなさんの健やかな暮らしが続いていくことを願っています。


暮らしと仕事、すべてがすべてここに

ひらけた田園風景の中に、小さな焙煎工房を備えた喫茶室があります。 ひとり小さく営むお店で、コーヒー豆を焼き、あんを炊く日々。 どれも素朴で滋味深く、最後に温かみだけを残すような、 そんな味わいで、そんな商いを長く永く続けていきたいです。 街から離れた少々不便だけれども、自然に囲まれたのどかな場所。 ひとり、ぼーっとする。 ふたり、雑談を愉しむ。 肩の力を緩めてのんびりと、珈琲とあんこでもどうぞ。