必要な手間


お店が静かな時間に、焙煎をする前の生豆をトレーに広げて、一粒ひとつぶ確認して欠点豆を取り除く作業をしています。

この作業、少々面倒な手間です。お店の珈琲豆がブレンドとカフェインレスの2種類しか置いていない理由のひとつはここにあります。一度の焙煎でだいたい1.5㎏から、多いときには2.5㎏分の生豆を選別して、ひとり小さな焙煎機で焼きます。

豆売りをしていくにはあまりにも非効率な方法ですので、量産とは無縁のお店です。


この少々面倒な手間を省くためには、高価格の生豆を仕入れることがひとつでしょうか。そういった生豆はやはり綺麗で、欠点豆はほとんど混じっていません。その分販売価格は上がりますが、生産性は上がり、売上げが伸びることにつながるかもしれません。


しかしそれは、わたしがやりたいことではないのです。

わたしにとってコーヒーは、日常的な飲み物で、心の滋養でもあります。ですので価格が大きすぎると金銭的に大変困ってしまいます。ですが、毎日飲むものなので、欠点豆が入りすぎているコーヒーは、胃腸にやさしくありません。胃腸がデリケートな方であるわたしは、そんなコーヒーを飲み続けているとなんだか調子を落としてしまいます。自分も、家族も、お客さんにも、健やかでいてほしいという想いとは程遠いコーヒーになってしまいます。


コーヒー豆も農作物ですので、年によって出来具合が違います。近年は、温暖化の影響からか、天候不良による不作が続いており、生豆の仕入れ価格も高騰しています。今のように10年後、20年後、豆売りを続けられているのかどうかさえ分からない状況に陥っており、日常の飲み物として気軽に飲むことができているのは幸せなことなのだと思います。

話が少し逸れてしまいましたが、生豆の選別作業をすることで、じっくりと見て触れる機会があり、今年のは去年よりも色艶がいいような気がするとか、粒が小さいかも、など状態を確認することができるのはいいことのひとつだと思っています。


こだわっているとよく言っていただけるのですが、わたしにとってこの手間はこだわりではなく、健やかでおいしいコーヒーを作るための当たり前のことなのです。人の体を通るものだから。

そしてこれが、わたしのやりたいことなのです。


非合理で非効率。大切なことはそんなところにあるような気がします。もちろんそれだけではお店を続けることは難しいので、合理と非合理、効率と非効率、どちらも。

小さな個人店だからこそ合理性だけに染まってしまわないように。

この先もずっと、2種類の健やかでおいしいコーヒーを焼き続けていきたいと思っています。






暮らしと仕事、すべてがすべてここに

ひらけた田園風景の中に、小さな焙煎工房を備えた喫茶室があります。 ひとり小さく営むお店で、コーヒー豆を焼き、あんを炊く日々。 どれも素朴で滋味深く、最後に温かみだけを残すような、 そんな味わいで、そんな商いを長く永く続けていきたいです。 街から離れた少々不便だけれども、自然に囲まれたのどかな場所。 ひとり、ぼーっとする。 ふたり、雑談を愉しむ。 肩の力を緩めてのんびりと、珈琲とあんこでもどうぞ。